先日、ムスメは学校で勤労感謝の日に向けて、お手紙を書いてきてくれました。
オットも、そして家にいてくれる祖父母含め、みんなそれぞれの役割を果たすべく奮起している我が家。1番わかりやすい仕事の私が、感謝の対象に選ばれておりました。笑
ママへ
いつもニュースのおしごとしてくれてありがとう。ママは、いつも、みんなのおやくに立っているんだね。ありがとう。
と。
泣いてまうやろー。です。
テレビを取り巻く環境も、社会から向けられる視線も、厳しくなっていることを痛感することも多いです。
でも、胸を張って仕事したい。お役に立ちたい。子に恥ずかしくない時間を過ごしたい。そんな原点に立ち返る気がして。
これまで、ママが働くのは、焼肉を食べに行くためだと教えてきました。笑
思春期の男子2人を育てる先輩母・川野さんからの教えです。
これはすごく子ども心に納得するよう。
家で弱音を吐きつつ、どうやって仕事を続けていこう、、、とボヤいていると、ママ、お肉食べたいから、やめないでーと何度も懇願されてきました。
が、ちょっとずつ、変わりつつある何かがあります。
先日も、「もう、、、帰るまで宿題も何も進まないなら、ママが辞めるしかないね」などと、そんな気もないのにボヤいたら、
息子→ママが辞めたいなら辞めりゃいいじゃん、それを僕たちのせいにするのはやめて、
娘→そうだそうだ、しかもママ、わたしも毎日学校行くから帰るの3時過ぎるのに、それまで何して過ごすの?
ぎょえー。痛いところ突いてきます。
いや、会社に行かなくとも、かーさん、やること毎日山積みなのですが。家事も育児も、やることは尽きない。
でも、はたと気づきます。
あぁ、常に歯を食いしばってきたのは私だけじゃなく、子らも各々いろいろな気持ちを乗り越えてきたのでしょう。
皆がお母さん参加の行事や迎えも、祖父母、シッターさん、他のお母様に託す、、、が日常でした。オットが単身赴任していた約5年は、なおさらです。
なんでママじゃないの?こそ言わなかったですが、思ったこともあるだろうなぁ。
もしかしたら、今でも。
だからこそ、おとなは何のために働くのか、自分にできないことをお互いに仕事して請け負うから社会は成り立つこと、
なぜわたしは伝えるという役割を続けたいのか、、、子ども、ではなく、1人の人として話す機が熟してきたように思います。
そして、楽しさの中にもがく苦しみもあり、苦しい中にも楽しさがあり、、、そのブレンド具合を、わたしもまだまだ模索していきたいと思っています。できれば楽しめ多目に。笑
それは、次の世代の特に女の子たちが、むやみやたらに歯を食いしばらなくていいようになってほしいという願いでもあるから、、なのです。