311の日には。



当たり前になっていることに、
ありがとうを言いたい。


四年前、
当たり前と思っていることは、
一瞬で当たり前じゃなくなることを知った。



はからずも、
きのう、息子の幼稚園では今年度最後のお弁当で、カードをくれた。


好きなおかずは、
昨年と同じく
からあげ、だった。


確かに、今年も揚げに揚げた。


カラになったお弁当箱とともに、
ありがとう、ってわたしにカードを渡してくれたので、
こちらこそ、毎日、きれいに食べてくれてありがとう、すごくうれしかったと伝えた。

おかずは変わらないけれど、
昨年より、お弁当箱はふたまわりも大きくなった。



毎日は奇跡の積み重ねだと
嫌というほど知ったのに、

忘れる。

だから、節目が大事。


日常にくさびを打つために。


明日から続く当たり前に、また心がこめられるように。



そして最近になって、

この世から姿かたちがなくなった人が、
生き続けるという意味が、

ようやく、少しずつ

わかるようになってきた。


命をリレーする中で。


自分の中に、祖父や祖母や、
お会いした先生がたや、
若くして亡くなった友人や、


ありありと蘇るときがある。

もちろん、わたしのフィルターを通した姿として、だけれど。


受け取ったものが、自分の無意識の中に自然と蓄えられていることを知る。


この世に生を受けたら、

もうそれだけで、

いのちには意味があるし、

誰かに何かを残している。


たくさん、受け取り合ってるんだな。


そんなことを思う、311。








東北の桜を見に行けたら、いいな。