親は欲深い生き物ですよね。
産まれてくれてありがとう、
きゃあ、笑った、
指を握ってくれた、
から、
だんだんと、
あれもこれも、
完璧を求めがち。
早く歩かないかなー、
好き嫌いぜす食べて〜
そろそろ読み書きもね、泳ぎもね、音楽もね、スポーツはもちろんよ、
お勉強は習慣よ、
でもそれだけじゃないの、
人として大事なのは挨拶よ、
友達とも仲良くね〜
思いやりも、強さも両方大切よ、
書くだけで苦しくなってきます。
きっとこれからは、
いい仕事しろ〜、いいパートナー見つけてくれ〜〜〜。
果てぬ欲望です。
はい、こんなに求められたら、私は息が詰まります。笑
そして、困るのは、
求め過ぎている自覚もないことですね。笑
生きててくれるだけでうれしいな、ありがたいと思っている気持ちも、もちろん根っこにありますもんね。
しかし、親ってどうして前のめりになってしまうんでしょう。
我が家は、前のめりになっていると、わたしの母から注意がきます。
あなたたち夫婦の子であることをお忘れなく、
あなたも、いくら言ってもピアノも練習しなかったわねえ、、、、、。
もじもじしてたわよ、いつも。
子どもに完璧を求めては、ムリよ、、、。
ぐうの根も出ません。笑
夫婦間でも、結婚したときには「そこがいいのよ、新鮮!」と思えた
価値観の違いが、教育観をきっかけにぶつかり合うことって多々あるのだろうと思います。
真剣に向き合うがゆえにね・・・。
どう生きるのか、どういう道を選ぶのか、それははたまたどちらが正しいか、の争いにもなりがち。
客観的には、どちらもいい!し、どちらでもない!やってみなわからへん???のですが、ことさら近い関係だと、譲れなくなるのかもしれないです。
もちろん、私も、子ども自身が、自分が幸せだと思う道を見つけて生きていってくれたらいいなと、どんと構えているつもりでも、
心の中では、何がいいのか?正しいもの探しをしてしまう葛藤もあります。
わさわさするときに、思い出すようにしていることがあります。
ESSEの座談会でお会いした、ひろっしゅコーチ。
「何が正解かなんて、わからないですよね。だから、正しさを争ってはいけないです。
結果、置かれた場所を正解にしていくことが大事でしょ」と。
深いです・・・。
子どもに限らない話ですよね。
今いる場所に不平不満を言うのは簡単だけど、
それって天に唾するようなもの。
今いる場所を、ここにいてよかった、
この経験があったからこそ・・・に変えていくのは自分の考え方でしかない。
そして、子どもにもそう思えるように育ってほしいな、と思います。
今ここを、正解にする。(自分にとってのね、人からの見られ方ではなく)
それが生きる力なのかな、と思っています。