
帰りに一枚、撮ってみました。
児童虐待防止月間にちなみ、
他の観光地でも、考えるきっかけ作りにと、
オレンジ色に染まっているようです。
児童虐待が増えている。
データで示されてもいれば、
ニュースになることも多いです。
以前、『ボクらの時代』でも触れましたが、
子どもを産んで最も見方が変わったのが、虐待のニュースです。
なぜ、母の自覚がもてないのか、
大人として無責任、
など、
べきべきべきべき、
こうあるべき、という考えは打ち砕かれました。
金切り声で叱ったこと、ある。
我を忘れて怒ったこと、もちろんある。
そして、自己嫌悪する。
理由があろうが、
理不尽だろうが、
叱りとばす自分がいいなんて、思ってない。
相手は、子ども。
それもわかっている。
いつも笑顔のいい母であるべきプレッシャーばかりがつきまとっているわけでもない。
ただ、
自分とは別個の、強烈なエネルギーを放つ子どもを前にして、
もう、ただ、家の中で、なりふり構わなくなってしまう瞬間が、あります。
最近はね、
怒ることで自分を責めないようにしたら、
不思議と怒らなくなりました。
怒ってもいいよ、
愛情の土台が作れていれば大丈夫、
でも、きつく叱ったら、それを取り戻すには5倍の時間とエネルギーをかけてあげて、と教えてもらったから。
わたしは、幸いにも、
二世帯で住む実母がいて、
職場にも仲間がいて、
いろいろと教えてくれる先輩や友人もいて、
救われることがたくさんあります。
でも、これが、
人とのつながりが少なく、経済的に毎日逼迫して追い込まれている状況にあったら、
違う事態も起きうる可能性もあるだろうと想像します。
親を責めるのも簡単。
児童相談所の対応を責めるのも簡単。
でも、現実はそれでは変わらないとも思う。
だとしたら、
なにができるだろう?
どのみち、自分も迷惑はかけるのだから、お互い寛容な社会になるには?
人に寛容になるには、
誰しも自分自身に居場所を感じられるところがあって、自分がまず満たされる、
それを実現していくには、、、?
せめて、
まだたった6年間の育児経験で、
自分が冷や汗をかいた場面、たとえば電車で赤ちゃんが泣き続ける、
そんなときには、
お話してみたり、
それはちょっと勇気がいるけど、ニコニコしながら手を振ってみる、
くらいはできそうな気がします。
これもまた、5人のお子さんを育てるお母さんが教えてくれたこと、です。