音のある暮らし。

最近音楽を聴くといえば、車の中くらい。

優雅にCDをかけて家事・・・なんてことはなく。

あ、今はCDよりPCやスマホで聴く方も多いのかしら?


とはいえ、音のある暮らしが戻ってきています。
息子のピアノ練習。
1日たった10分、しかも途切れ途切れで拙く、1回ごとに、「ゲラゲラボー」のメロディーが途中参入します。

「集中しなさい」と言いたい気持ちはあるものの、それでも音のある暮らしは和むものです。

今の家に越すときに荷物整理が大変だったことは既にブログにも書きましたが、処分に最も心痛めたのはピアノです。

わたしの母からは、「ピアノは残してほしいな。また誰か弾くかもしれないし」と言われておりました。

当時は、もう調律も狂い、すっかりガタがきて、リビングの風景の一部に化していたアップライトのピアノ。

神経がとがりにとがっていた私は、
「いつか誰かって?誰も弾かないし。ピアノがあるとソファも置けない」と無駄の骨頂とばかりに、ピアノ処分を主張したのでした。

業者さんが搬出用クレーンで呆気ないほどスピーディーに運んでいって、確かに部屋にスペースはできましたが、

ピアノはただのモノではなかったのだと、がらんとなくなってから気づきました。

わたしの母にとっては、幼いころの私の記憶と一体だったのですよね。

だいぶ無理して買ってくれたものだったでしょうし。


今、新たに、中古で買った電子ピアノを弾く息子の姿を見て、途切れ途切れの音とともに、わたしの心に姿ごと刻みこまれていくのを感じます。


そして、音があること自体がいいものなのです。


そんな折、ひょんなことで、私もある会でピアノ伴奏をする機会をいただきました。

われながらびっくり。弾いてみようと思うなんて。

中学時代は、合唱コンクールで伴奏はしていたものの、
もうだいぶ長い間ご無沙汰。
大学時代にジャズ研でピアノを弾いてみたかったものの、
オタクな仲間たちにすっかり怖気づいて、弾いたことなかったし。
(あぁ・・・今でもオタク気質にあこがれがあるのです・・・)

でも、ここのところ音があることの良さに気づき、何かと来し方を振り返ることが多いこの頃、既に自分が持っているもの、既にあるものを使ってみたいのです。
勇気をもって。

うまくもないです。
ドキドキもします。
練習しようと思った初日に、寝坊しました。笑

でもこれもまた、ひとつの小さなチャレンジですね。
自分への。